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こんにちは。
サイト管理人のソラです。

突然ですが、
僕は21歳から24歳までの約2年半
引きこもり生活を送っていました。

僕はその時、
完全に社会から孤立していました。

僕は今でこそ、人を雇ったり
自分でブログを書いたり、
読書をしたり、
プログラミングを勉強したり、
ネットでお金を稼いだりして、

それなりに充実した毎日を
送っていますが、
昔はとんでもないダメダメ人間でした。

僕よりひどい人間はこの世に存在しない
んではないかというくらい
底辺をはいつくばっていました。

とにかく自分に自信がなく
他人と比較して常に劣等感を
感じていたんですよね。

頼れる友達もいなく
全て一人で抱え込んで
毎日死にたいと思っていました。

自分には生きる価値がない・・

そんな思いで
胸がいっぱいでしたね。

そこで、
僕が引きこもりの時に感じていたことを
物語形式で語っていきたいと思います。

これを読んだらきっとあなたも自信が
わいてくると思います。

それでは、どうぞ。

ブラック企業を3年で辞めた


ある寒い日のことだった。

僕は当時21歳だったのだが、
高校卒業後に就職した会社を
やめることになった。

約3年間働き続けていたんだが、
あまりにブラック過ぎて耐え切れなくなった。

ちなみに僕が働いていたのは、日本でも有名な
鉄鋼会社の工場だった。

具体的にどんなひどかったかというと、

・毎日8:00~22:00とか当たり前だった

・サービス残業がひど過ぎた
(月80~100時間くらいタダ働きしたと思う)

・忙しいときは、毎日深夜2:00くらいまで
1ヶ月くらい働かされて死にそうになった

・仕事内容がきつすぎる(俗に言う3K職場)

・職場の人の気性が荒すぎる

そして、これが一番きつかったんだが
上司が恐ろし過ぎた。

毎日、僕に罵声を浴びせるのは当たり前で
「ボケ、カス、〇ね」
くらいのことはよく言われていた。

その人は、有名大学を卒業していて
仕事できる人だったので周りの人も
誰も助けてはくれなかった。

「お前ほんと使えねーな」
「何のために会社いるんだよ」
「お前みたいなのがいるから一生懸命
働いている人が損するんだぞ」

上下関係も厳しく先輩に雑用でも
やらせようものなら、

「何〇〇さんにやらせてんじゃボケー!!!!!」
「下っ端のおめーがやる仕事じゃろがー!!!」

みたいにボロッカス言われた。

他にも、あいさつがキチンとできてない
という理由で職場の人がたくさんいる中で
大声で怒鳴られたり、1週間くらいシカトされ
たりした。

このときは本当につらかった。

僕が何を話しかけても
完全無視されて、会議の時も
僕の悪口をいいまくられた。

「何か一人使えねー奴がいるな」
「何のためにこの会社にいるんだ?」

みたいなことを僕に直接言うんじゃなくて
遠巻きにいってきた。

僕は何度もあやまったが
聞く耳をもってくれずまるで
僕が存在しないかのように扱われた。

もう毎日会社にいるのが気まず過ぎて
泣きそうになった。

そんな俺悪い事したか?
少しあいさつできないくらいで
そこまでするかと思った。

そして、ひどいときは1日中
怒鳴られ続けて39度近くの
高熱がでて早退することになったときもある。

そんなこんなでついに僕は限界がきて
会社をやめることになった。

やめるまでには、2ヶ月くらいかかったが
何とか耐えきった。

やめるまでの間には、

「てめー、やめるからといって手え抜きやがったら
ブチ〇すぞ」

みたいなヤ〇ザ顔負けのことを上司に
いわれたが完全に開き直っていた。

やめると決まるとなんだかすがすがしく
なってきて、何も怖くなくなってくるのだ。

ただ、残念な事に有休を全部
使いきれなかったのが心残りだった。

そして、念願の会社をやめて
晴れて自由の身になった。

しかし、そこからまた地獄が始まろうとは
この時は思いもしなかった。

会社を辞めて大学受験に挑戦するも・・


僕は会社をやめてから何をしていたかと
いうと、なんと大学受験をしようとしていたのだ。

何で大学受験をしようと思って
いたか理由を書くと、

高卒のままだとろくな就職先も
見つけられないのでやっぱり大学に行かないと
だめだなと思ったからだ。

それとうちの兄が当時大学生で、
何か楽しそうにしているのをみて
それに影響された部分も大きかった。

まあ、本当は正直しばらく働きたく
なかったので就職を先延ばしにしたい
言い訳にしたかった部分もある。

今思うと、その考え方が
根本的に甘かったと思い知らされる。

僕は東京の大学を受けたかったので
東京の予備校に通うために
引っ越しをすることにした。

別に大学に受かってから東京に
引っ越せばよかったものの
環境を変えれば何かが変わると
期待していた僕はそういう決断をした。

幸いなことに会社員時代に
貯金をしこたま貯めていた僕は
生活費や家賃などのお金は
なんとか工面できていた。

大体300万程はあったと思う。

実家にあるものを
色々と段ボールに詰めて
ちゃくちゃくと引っ越しの準備を
していた。

実家にあるものを運ぶ際
引っ越し会社にたのむとお金が
たくさんかかるので、
父親に手伝ってもらった。

持ってく物じたい
少なかったのでそんなに
引っ越しは大変でもなかった。

なんやかんやで引っ越しは
完了していざ大学受験に
望むぞー!

と意気込み僕の新生活はスタートした。

予備校にも通う事になって
なんとか受験するモードに
なっていた。

僕が通っていた予備校は
週3日制の予備校で、
3日間だけ授業をして後の時間は
全て自習するスタイルだった。

年間の授業料が確か45万くらい
だったのでわりとリーズナブルだった。

授業が少ないのは不安じゃないの?

という意見もあるかもしれないが、

僕もやたらと授業を受けるのは、
あまり効率がいいとは言えないので
これでいいかなと思っていた。

そして、予備校生活が始まったのだが
そこである問題が起きた。

僕は予備校の雰囲気に
全くなじめなかったのだ。

僕は当時21歳で
周りの子たちよりも3~4歳年上だった。

なので、周りの自分よりも若い子
たちと仲良くする事ができなかった。

今思えば、そんなくだらないプライド捨てて
素直に仲良くすればいいのに当時の僕は
それができなかったのだ。

というよりも同年代の人とも
僕は仲良くするのが苦手で中学、高校、社会人
ともに友達は絶望的に少なかった。

なんかしらんけど、年上の人とは
わりと仲良くするのが得意だったけど。

会社でも年上の先輩とは飯食いに
連れっててもらえたり、
遊びに連れて行ってもらった経験もある。

恐らく年上の人には甘えることが
できたからではないかと思う。

同い年や、年下にはその戦法は
通用しないので苦手だったのだと思う。

それもあって、予備校には次第に
行かなくなってきた。

そして、勉強もしなくなった。

予備校に行かないと予備校から
連絡がくるのだが、僕はそれを無視
し続けた。

いい大人がとる対応とは
とても思えない程ひどい対応だった。

別に会社じゃないんだから
そんな怖がる必要もないのにね。

もうなんか誰にも会いたくない
気分だった。

そして、狭いアパートに1日中
引きこもる生活が始まったのだ。。。

引きこもり生活は地獄だった


誰も知り合いがいない東京に
いることに精神的に限界を感じた
僕はアパートを引き払い実家にもどる
ことにした。

ハッキリ言ってなにしに東京に行ったのか
わからない。

ただ、予備校代と家賃をドブに
捨てただけだった。

せめて少しは東京で遊んでくれば
思い出になったかもしれんが、
コミュ障の僕にはそれはめちゃくちゃ
ハードルの高いことだった。

元々引きこもりやすい性格だったので
本来のさやに納まった感じだ。

そして、引きこもって何をしていたかというと、、、

何もしてない。

毎日、
昼頃起きる→朝めし兼昼めし食べる→動画見る
→夜めし食う→動画見る→風呂入る→動画見る
→深夜2時ごろ寝る→昼頃起きる→・・・

の繰り返し。

1日中部屋にこもって誰とも会わない
喋らない。

親は無関心なんだったので
誰ともほとんどしゃべらない。
(恐らく僕が何考えてるのかわからないので
どうしていいかわからなかったと思う)

完全に外部の環境からシャットダウン
されて陸の孤島と化していた。

この時の心境を一言で語ると
孤独との戦いだった。

人間って1日中誰とも会話しないと
明らかにおかしくなっていく。

脳みそが人との関りを求め
はじめるのだ。

寂しいよ、寂しいよ、寂しいよ、、、、、

と頭の中で永遠とループしている。

しかし、外に出る勇気も
人と会う勇気もない。

人恋しいくせに、
人と会うのは怖いという
矛盾した感じになっていた。

もうかなり精神的にヤバい状態に
なっていたのは間違いない。

そして、ついに自傷行為に走った。

今思うとゾッとするんだが、
何と自分の髪の毛を抜きだしたのだ。

よく精神的な痛みから逃げるために
リストカットするという話は聞くが、
僕はリストカットの代わりに髪の毛を
抜くという行為をしていた。

とにかく雑草を抜く感覚で
髪の毛をむしっていた。

ぶちっ、ぶちっ、ぶちっ、、、、、、、

まるで庭の掃除でもしているかの
ように僕の髪の毛は消えていった。

ちょっと気持ち悪い話になるが、

部屋の片隅に自分の髪の毛が
無残に散乱していた。

まるで、呪いのビデオに
出てくるような怖い光景だった。

僕はもともと髪の毛の量は
多い方だからよかったのだが、
今でも髪を抜きまくった頭部の
左側は髪の毛が少ない。

流石に鏡で自分の髪の毛が少なくなってるのに
恐怖してその自傷行為は止まった。

下手したら、頭部がつるっぱげに
なっていたかもしれない。

そうなったらあまりに異様過ぎて
仮に引きこもりを脱出できても
周りの人はドン引きするだろう。

恐らく気持ち悪がって
みんな避けていくと思う。

もう完全に目が死んでて
いつ死のうか、いつ死のうか
そんな事ばかり考えていた。

俺、このままどうなるんだろうな・・
周りの同級生は結婚して子供もいるだろうに・・
俺はなにやっているんだ。
世の中は残酷だな。。

みんなから愛されて社会的にも認められてるやつが
いる一方、
俺みたいに誰からも愛されず必要とされない人間も
存在しているんだよ。

俺だって、誰かから愛されたかったし
誰かに必要とされたかったよ。。

好きでこんな人間になったわけじゃない。

もっと楽しい人生を生きたかった。

もうこんなクソみたいな人生
どうでもいいや。。

死のう。。。。。。。

遺書まで書いて本気で自殺を
考えていた。

だが、いざ死のうと思うと
怖くてできなかった。

なので、結局死ぬに死ねずダラダラと
無意味に生き続けることになった。

そして、そんな本当に何の価値もない
生活はある日終わりを迎えた。

日本中を震撼させた
ある出来事が原因だった。

その出来事とは、、、

東日本大震災だ。

引きこもり生活終了のお知らせ


当時僕はリビングでテレビをみていた。

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相〇という某有名な刑事ドラマの
再放送を引きこもっていた当時の僕は
楽しみにしていたのだ。

そのドラマの再放送をみていた
突如テレビのテロップに
恐るべきニュースが流れてきた。

東北地方で震度7の揺れを
観測しました。

確かこんな感じのテロップだった。

「震度7!?ヤバくね??」

みたいに僕が動揺していた
矢先地面が大きく揺れている事に
気づいた。

一気にグラグラっという揺れではなく、
グワングワンとゆっくりな
横揺れだったのを覚えている。

まるで荒れ狂う波を
行く船の上にのっているような感覚だった。

気持ち悪くなるような揺れ方だ。

台所につるしてある
調理器具がガチャガチャ音をたてながら
揺れて、タンスとかの家具が今にも
倒れてくるんじゃないかと思った。

僕はこれはヤバいと思って
すぐに火の元を確認して
とにかく揺れが収まるのもじっと待っていた。

この時は生きた心地しなかった。

「早く収まってくれ、早く。。。」

と神にも祈る感じだった。

あんだけ死にたいと思っていたのに
いざ生命の危機にさらされると
命が惜しくなるもんだから不思議だ。

しばらくしたら、少しづつ揺れが収まって
きて冷静さを取り戻してきた。

そして、再びテレビを
みているとそこには恐ろしい
光景が移っていた。

東京のビルで火災が起こったり、
東北の漁場などが津波に飲み込まれている
映像が流れていた。

「これは本当に現実で起こっていることなのか?」

僕は生まれてこの方ここまで大きな
出来事に遭遇したことがなかったので
正直すぐには受け入れられなかった。

しかし、父親が帰ってきて
大騒ぎしている姿をみて
これは現実に起きていることなんだな
と思った。

買いだめで食料品がスーパーから
姿を消したり、ガソリンスタンドに
長蛇の列ができたりして今までにない
ほど緊迫した空気もあった。

正に日本中が大パニックに
なっていた。

幸いなことに僕の住んでいた地域は
大きな被害はなかったのだが、
しばらくしてある問題が起こった。

それは、、、

父親の仕事が激減して家を追い出されるかもしれなくなった


震災の影響で父親の仕事が激減したのだ。

それもあって、家には全く
お金が無くなった。

被災者の方に比べれば
大した事のない話なので
本当に申し訳ないんだが、

それでもかなりヤバい状態に
なった。

家賃はおろか水道代すら
払えないような状況だった。

父親が家にある貴金属や切手などを
キンブルに売りにいって何とかお金を
工面していたことを今も鮮明に覚えている。

これは本格的にヤバいと思った僕は、
働く決心をした。

とりあえずバイトでもいいから
見つけないと明日生活できるかも
わからないのでとにかく急いだ。

親以外の人間と2年半ほとんど
会話もしてこなかったから、
めちゃくちゃ外に出るのは怖かった。

緊張もした。
逃げたくもなった。

でも何とか勇気を振り絞って
まずは、ハローワークに行った。

ハローワークの雰囲気は正直
薄暗い感じがしたのを今も
覚えてる。

みんな失業やわけアリの人が
いるような感じだった。

当然僕もその一人。

長期にわたり引きこもり
何も勉強もしてないし働いていない。

正に、人生の敗者みたいな感じだ。

ハローワークの使い方もよく
わからないので、受付の人に
相談した。

そしたら、何か紙をわたされて
そこに自分の住所や経歴を記入して
くれとのことだった。

「経歴か。。。」

「どうしよう空白の期間
何て書けばいいんだ?」

1ヶ月や2ヶ月ならともかく
2年以上も引きこもっていた僕にとって
これは公開処刑みたいなもんだ。

しょうがなくそこは空欄に
してそのまま提出した。

その後に職員の人から面談があり、
色々聞かれることになった。

「どんなお仕事をお希望ですか?」

とか基本的なことを聞かれた。

その辺の質問はなんなく答える事が
できたのだが、、、

「ずいぶん空白の期間がおありですが、
この期間は何をされていたんでしょうか?」

ついに僕の聞かれたくない質問を
されてしまった。

僕は返答に困り、

「あの、その、それはですね。。」
「・・・・・・・・・・・・・・」

みたいに言葉につまり
だんまりしてしまうという
何とも恥ずかしい状況だった。

しばらくしたら、
職員の人が口をひらき

「別に私共にはいいんですが、
面接の時とかにはキチンと話せるように
しましょうね」

みたいに言われてしまった。

返す言葉もなかった。

しかし、向こうも慣れてるのか
たんたんとしていた。

ハローワークには僕以外にも
何かわけアリの人がたくさんくるから
日常茶飯事何だろうと思った。

ただ、ハローワークは職員の人が
職場に電話してくれるので
その辺は助かった。

僕はとりあえずスーパーのカートなどを
片付けるなるべく人と関わらない
仕事に応募する事にした。

面接もしてくれるとのことなので
ドキドキしながらも
何とかいざ面接にのぞんだ。

この時は本当に心臓がのどから
飛び出るんじゃないかというくらい
緊張した。

心音がきこえてくるんじゃないかと
いうくらい心臓がバクバクしていた。

しかし、面接官の人は高齢の男性で
わりと落ち着いた感じだったので
そこは安心した。

面接もやっぱり空白期間を
聞かれたが、
そこはうまくごまかした。

「失礼ですが、長い間空白期間がございますが
この時何をされていたかお話していただけますか?」

と聞かれたので僕は、

「大学を受験するために勉強していましたが、
落ちてしまったので今就活をしております」

「かといってもすぐには就職先はみつからないので
今はバイトしながら探していこうと考えております」

みたいな感じで僕は返答をした。

そうしたら向こうは、

「そうですか、わかりましたありがとうございます」

と深くは聞いてこなかった。

なんだかんだで面接は無事終了した。

その後、その会社から
電話があったのだが、、、

不採用!

残念ながらそのバイトには
落ちてしまった。

ガッカリしたといいたいところだが、
どうやらそういう仕事は高齢の方が
多いみたいなので、あなたみたいな若い人には
向いてないと思うとのことだった。

決して僕がコミュ障だからとかでは
ない感じだったのでそこはよかったと思う。

また、1からバイトを探し直さないと
行けなくなったのはつらいが。

しかし、この面接を通して
要領はつかんだので今度は
ハロワじゃなくタウンワークなどの
求人誌にも自分で電話して応募する事が
できるようになった。

これは大いなる1歩だと思う。

今まで電話すら怖かった臆病者が
自分で電話しているのだから。

他の人からみれば笑いものかも
しれないが、僕個人としては
成長している感じだった。

近所周りの求人を探すと
コンビニが多かったので
片っ端から電話しまくった。

今思うと何で接客業を選んだのか
不思議だが、あまり他にやれそうな仕事が
思いつかなかったからだと思う。

コンビニは楽だとなにかで
聞いたのもあると思う。

電話したら、
面接はすんなり決まって
とにかく面接を受けまくった。

雇ってもらえそうな雰囲気だったのに
何の連絡もこなかったり、

「今まで、遊んでたの!?」

とか言われて
返す言葉もなかったり、
ボロボロになりながらもとにかく
前にすすんだ。

このままバイトすらも決まらなければ
路上生活が待っているかもしれない。

そんな恐怖が僕を後押ししてくれたのか、
僕は今までにないほど行動しまくった。

周りからみればとても滑稽に
みえるだろう。

「何?バイト程度で必死になってるのw」
「受けるwww」

と思われてるかもしれないが
そんなことはどうでもいい。

とにかくはいつくばってでも
バイト先を見つけてやるという
勢いだった。

そんな努力もあってか
何とか奇跡的に早朝のコンビニバイトに
採用されることになった。

この時は、超嬉しかった。

今までやってきたことの中でも
トップレベルの喜びだったと思う。

「やっと、この引きこもり生活ともおさらばできるぜ・・」

そんな感傷に浸りながら
なんとかバイトが決まりつかの間の
安心が訪れた。

そして、2年半という長きに
渡る引きこもり生活は幕を下りた。

久しぶりに働いた感想


とにかく久しぶりに働くことも
あってまずはリハビリしなければ
いけないので、
働いたのは週3日だけだった。

しかも、1日3時間と言う短い
時間だった。

いきなり無理してフルタイムで
働くと体調を崩しかねないからね。

正直自分に接客ができるのか?
失敗したらどうしよう・・・
上手くバイト先の人と仲良くやれるかな?

という不安はあった。

しかし、もう後には引けないので
やるしかない。

そんな思いで初日のバイトに
臨んだ。

引きこもりまくっていると、
声がかすれてくるけど
なんとか頑張って大声を出せるようにした。

最初にレジ打ちした時は
めちゃくちゃ緊張して店長も
微妙な顔をしていたのだが、
すぐに慣れてきた。

なんか想像していたよりも
全然カンタンだったので
拍子抜けした。

正直引きこもっていた時の
方がよっぽどきつかった。

毎日死にたい死にたいと
思って、絶望的な気分で
過ごしていた時の方が100倍
苦しかった。

あんな暗い部屋の片隅で
うずくまって将来どうなるんだろう・・
と心配し続ける日々のつらさに比べれば
コンビニのレジ打ちなんて楽勝過ぎた。

そして、これが大事なんだが
自分に自信がついたのが大きかった。

自分自身でお金を稼ぐという事は
やっぱりすごい自信になる。

お金がないってものすごい怖い事
だからね。

昔から家は貧乏で苦しかったんだが
今回の件でお金がないことの恐ろしさを
身に染みて感じた。

生活できなくなるかもしれない。
ホームレスになるかもしれない。
明日食べるご飯も買えないかもしれない。

本当に怖すぎる。

そんな目に合うくらいなら
働いてお金を稼ぐ方が絶対にいい。

僕は心底そう思った。

そして久しぶりの給料を
もらったときすごく感動した。

たった3万程しか稼げなかったが、
今まで0円だったのに比べれば
めちゃくちゃうれしかった。

丁度僕が引きこもり脱出していた
時期と被るのだが、

国民的人気の某海賊のアニメの
新章突入した時のような感覚だった。

大切な人を失い(僕は時間を失ったが)
つらい出来事を乗り切って
主人公が立ち上がった時のシーンが
ヤバいくらい共感できた。

今でも当時を思い出すと新OPの、
じーっとできない♪~
が頭の中に流れてくる。

そんくらい僕にとっては、
大きな出来事だった。

これからもじゃんじゃんお金を
稼いで自分に自信をもてたら
いいなと心の底から思う。

以上、おしまい。

さいごに


ここまで読んで頂きありがとう
ございました。

ご覧の通り僕はこんなにも
弱い人間だったんですよ。

それでも、何とか地べたをはいつくばり
ながら生きています。

今では、
ブログを書いたりもしていますし、
誰かに記事を書いてもらったりもしてます。

読書が好きになったり
プログラミングを勉強したり
ビジネスの懇親会にいったり
それなりに楽しい人生を送っています。

そして何より自分の力でお金を稼ぐのが
楽しくてしょうがないです。

お金ってなんだかんだいって
絶対に必要なものですし、
自分の価値を感じれるものだと
思うんですよ。

お金を稼ぐって事は
誰かに価値を与えられないと
いけませんからね。

お金だけが全てだとは思いませんが、
キレイ事抜きに世の中のほとんどは
お金で解決できます。

僕も引きこもっていた時の事を思い出すと
ゾッとしますから。

あんなに惨めで怖い思いは
二度としたくないです。

お金はあるに越したことは
ないです。

今の世の中なら外に出て
働けなくても、稼ぐ手段はあるので
将来に不安を感じるなら行動した
方がいいと思います。

在宅ワークなら面接もいらないですし、
隙間時間にも稼げます。

僕みたいにヤバい状況になってから
動くよりも少しでも余裕があるときに
はじめた方が焦らずにも済みますからね。

何かするよりも何もしない方が
よっぽど精神的に疲れますからね。

それを僕はしみじみと感じた
お話でした。

それでは、最後まで長い文章を
読んで頂きありがとうございました。

この記事を読んであなたも自信を
もってくだされば幸いです。

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